2019年1月中旬、ある土曜の夜遅くに見知らぬ番号からの着信があった。
間違い電話だろうと無視していると数十分後に同じ番号から2回目の着信。
ただならぬ「何か」を察知して電話をとると他県の医療機関からだった。
内容は父が渡航先で胸の痛みで緊急搬送されたとのことで、危篤状態でICUに入っていることを告げられた。
まさかとは思いつつも説明をしてくださる先生の声のその先に父がいるんだなと現実を受け入れ始めた。自分の心臓は今にもはち切れそうだった。
そして姉に電話連絡し父のいる病院へ向かう準備がはじまった。
医師から父の病状について説明を受ける
率直に言って説明されたのはほぼ絶望的な内容だった。
病名:急性心筋梗塞
搬送当時、父は胸の痛みを訴えており心筋梗塞の症状でその治療を開始するまでは意識もあって会話もできたようだが、治療後(カテーテル治療)に悪化したとのこと。
父の体は糖尿病・高血圧の症状もありこれらが酷く重なって、根治が難しい状況になったようだ。
過去より父は定期的に健康診断を受けその結果をもって体調管理をしていたのだが、とある時期を境に通院をやめて糖尿病・高血圧用の薬を服用をやめていたと、ヒアリングした医師が説明をしてくれた。
父は健康的な食材を勉強していて「食事法」で自分の体を治していく、と熱く語っていたことをふと思い出した。おそらくこの影響が大きかったに違いない。
担当された医師の説明は非常に丁寧で親族にわかりやすく且つ言葉を慎重に選んでいる様子が伺え、話を聞くたびに涙がこぼれ落ちそうになった。
父との対面
ICU病棟で病室を訪れ父と対面した。
全身に管を通され、人工呼吸器を装着、点滴でむくんだ体をみて改めて夢ではないことを認識した。
はじめに病院から電話がかかってきたときに受けた説明では一刻を争う状態であったが、ぼくらが到着するまで「生きる」という父の生命力があふれ出ていたように思う。
ただ、その様子は「生きている」というよりも「生かされている」という表現が近く目を向けることが非常に辛かった。
姉たちは体に触れて声をかけていたが、ぼくはあまりにショックが大きすぎて声をかけることすらできなかった。
土曜の夜、1回目の電話を受話できていれば最後に会話ができたのに本当にごめん。全く無意味な後悔をただただ引きずりながら、心の中で謝ってばかりだった。
「後悔先に立たず」と、まさにその言葉の通りだ。
医師との対話
ICU病棟の病室は家族といえど面会の時間帯などが制限され一日中一緒にいることができない。
そのため毎日朝と夕に病床へ通って父の様子をみて、看護師・担当医から治療の状況をうかがっていた。
「お父様の体の状態は正直に言ってかなり厳しい状況」と説明を受けた。
僕ら家族はその「厳しい状況」を目の当たりにして苦しんでいる父をずっと見守ることがつらかった。そして、しっかりと話し合い「安楽死」の選択が可能か率直に医師にぶつけてみた。
返ってきた答えは「できません」だった。
今回の父の場合、人工呼吸器などを外すと確実に呼吸が止まることがわかっているため病院側としてはこのような処置はできないとのことだ。
医師の仕事は患者の命を救うこと、可能性がある限り処置は続けるのだ。これが「医師」であるのだなということを改めて認識した。
担当医はぼくらの気持ちをとても理解してくれており、毎回わかりやすく”手書き”で治療の様子を記してくれた。
感情が入らないキーボードの打音ではなく、手書きで説明してくれるその姿に本当に本当に感謝の気持ちでいっぱいになった。
そしてその日は訪れた
病院へ通うようになってから5日が経過、ぼくらの疲労も蓄積され姉が一人ダウン気味の様子。
そこで現実的な事情(仕事/家庭)を考えて一度地元に帰ることを決断し担当医・看護師へ事情を説明した。
飛行機に乗るという翌日の早朝に事態は一変。
病院から電話を受け「かなり状況が悪化しているのでそばで見守ってほしい」との連絡。急いで病院へ向かった。
病床横の各計器類の数値が低くなっていることが説明を受けずともすぐに理解ができた。ぼくらはずっと父の横で見守っていた。
そして2019/1/20(日)AM、誰よりも戦っていた父は息を引き取った。
「これまでありがとう。よくがんばったね、お疲れ様。ゆっくり休んでね」ぼくら家族はそっと声をかけた。
父の存在とは
父は子煩悩ではなく小さい頃に遊んでもらった記憶がほとんどないが、母と離婚してからも自分の贅沢を犠牲にしてぼくらの生活を常に支援していたそうだ。
結婚して子どもを授かるようになって、姉達からの話でずっと支えてもらっていたことを知った。
そして子を持つ親として父の生き方を少しでも学ぼうと2018年ごろからよく会話をするようになったが、ひとつひとつ手取り足取り教えてはくれないので背中をみながら少しずつ学んでいった。
それにしても何もなかった世代の父は「生きる」という力が非常に強い。
一から十まで父の仕事ぶりをみてきたわけではないが、60歳を超えても現役で重機のオペレーターとして信頼される姿は誇らしかったし、休みも関係なく働き続けるその姿勢はすさまじくエネルギーが溢れていた。
2019年正月には今後やりたいこと、やり残していることなど時間を忘れて2時間もアツく語り合った。
今思えば語り合ったその内容は一種の「遺言」だったようにも思え不思議な気持ちに陥った。まるで自分の死期を悟っているかのごとく、普段話さないことを濃密に会話したからだ。
これまでずっと「自分のやりたいこと・興味のあること」にとことん時間とお金を投資してきた父。
ボクが若いころはやってることの意味が全く理解できなかったが、今になってようやくその意味ができるような気がする。
現実問題と向き合う
ここからは残された手続きを処理していくという「現実」と一つ一つ向き合っていく必要がある。
ボクらの場合、ざっと以下のような「現実」だ。
- 葬儀
- 市役所関係手続き(固定資産税・介護保険・年金)
- 所有車の処分
- 遺品整理
- 通信機器の解約
- 扶養を外す手続き
- 法人登記の運用把握・処理(廃業or代表者変更)
- 相続登記(土地・建物)
父は生前から「自分が死んだときのこと」を半分冗談交じりに話をしてくれていたおかげで「不明な情報」というものはほとんどなかった。
これは後になって実感することだが、残された家族にとっては非常に大事なことだ。
ぼくら家族だけでは解決できないものもあるので、父の友人・親族・FP/税理士/司法書士と連携して一つずつ処理していく予定。
ところで昨今では「終活」というものが流行っているらしい。
父の場合は面と向かっては言わなかったが「残された家族には迷惑をかけてくない」という思いで自然に「終活」を行っていたようだった。
「書類関係は一つのケースに纏め、自分の思いは普段から周囲に発信する」
残された家族が知りたいことは「本人が何を考えていたか、やりたかったか」だ。
この部分を家族が理解できていれば葬儀もスムーズに行えるし、気持ちの整理もつきやすい。
やはり家族間のコミュニケーションは大事である。
家族の大切さを考えてみる
言うまでもなく「家族」は大切である。これは当たり前であるがゆえに日常生活で気づきにくい部分であるように感じる。
とある時期に兄弟と喧嘩して仲が悪くなったり、親からガミガミ怒鳴られて「嫌い」と思ったことは誰にでもあるのではないだろうか。
度合いによっては「いなくなればいいのに」と思ってしまった方も少なくはないだろう。
ところが「本当にいなくなった」時のことは、「嫌い」と思った時点では残念ながら全く想像できない。そのため事が起こってから「後悔」してしまう。
今過ごしている瞬間は当たり前だが、突然「当たり前でない」状況に変わってしまうことがある。
いつその時がきてもいいように普段から「家族の大切さ」を意識しておこう。
全くないということはは難しいかもしれないが「後悔の可能性」を極力少なくすることができるはず。
ボクは現在両親が他界し兄弟しか残っていないが、新しい家族となった妻と子どもたちがいる。現実と向き合い「後悔」のないよう今この瞬間を大切にしながら生き方を見つめなおしてみるつもりだ。
あなたに大切な人がいるなら今この瞬間からその人を思って生きてほしい。